shiholog*

現役看護師ときどき占い師shihoのブログ

いわゆる「職場での人間関係」について、人はなぜ悩むのか。

ご機嫌いかがですか?

 

shihoです。

 

わたしはこの春先の「寒さ」が一番苦手です

 

分厚いもので体温を逃さないようにすればいい冬と違って、あまり着過ぎると暑くて汗をかいちゃうし、それでやはり軽めの服装になってしまうのですが、それだと、なんだかおなかの中からじんわりと冷えて来そうな、そんな寒さがあってとっても体調を崩しやすい季節です。

 

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もっとも、わたしたち看護師は年中半袖のユニフォームで走り回っておりますが

 

看護師といえば、みなさま「白衣の天使」なんて呼んで下さる場合もあるかと思いますが、ぶっちゃけ結論から申し上げますと

 

天使なんていません(笑)

 

ナースも至って普通の人間です。

もともと看護師として働く人には他人の為に役に立ちたいという動機はありますが、どちらかというと教育を受けて、普通の人なら出来ないようなこともやってのけられるようになった、という感じです。

たとえば、医療的な面での医師の介助、医師の指示による主に薬の管理、そして排泄ケアを含む入院中の身体面での介助や援助など

これらはすべてエビデンス(根拠 なぜそうなるのか、なぜそうしなければならないのか)に基づいて行われています。

つまり、その人が病気やけがの状態から回復、改善をするためにどのようなことをしなければならないのか、という観点からわたし達は考え、動いています。

この時、わたしたち看護師は、その人が持つ能力を維持、または向上させるように働きかけなければなりません。

つまり、何でもかんでもこちらがやってあげていたら、その人の「能力」の質を落としてしまうことに繋がるのです。

「そんなちょっとの事もやってもらえないの?」と意地悪と捉える患者さんも時にはいらっしゃいますが、その小さなことの積み重ねがその人の人生なのです。

じーっとして動かないでいると筋力はあっという間に落ちてしまいます。

手先を動かさないでいると、物がつかみにくくなってきます。

出来なければやってもらえばいい、また逆に、本人にしてもらうと時間が掛かるからこっちでやってしまおう…そういう考え方が、介護を必要とする高齢者をたくさん生み出します。

 

本来なら、看護師は患者さんひとりひとりに対して、チームで意見を出し合い看護に対する方向性を決めて、みんなで同じように援助していきます。

その人のゴールは何か、そこへ行くにはどのような方法で支援してあげたらいいか、どのようなアプローチが適切か、そして今その人がどんな状態かを知らせ合ったりして、みんなで協力して「患者さんの為に」考え、動くのが役目です。

個人個人の考え方やスキル、倫理観、人間性も非常に重要なファクターとなるチームプレイヤー、それが看護師です。

 

 

コロナ渦で医療従事者の労働の実態の過酷さは、以前よりは皆様にも知っていただけるようになったかと思いますが、看護師は、頭も体も心も使う非常にハードな仕事です。

労働に見合う対価を得られる病院施設は全体のほんのわずかで、大勢の看護師が賃金に見合わない過酷な労働を強いられています。

看護師は、「何でも屋」として扱われており、それが業務を複雑化し、心身両面に膨大な負担を掛ける原因になっています。

時には「金儲けの道具」として扱われ、身体を休める十分な休日をもらえない病院施設もいまだに多くあります。

 

それでも、看護師として仕事を続けている人たちは、奉仕の心を持ち、人の為に働くことを心から厭わない神聖な人たちと言えます。

この仕事は、偽善者には出来ない仕事です。これは断言できます。

 

 

では、なぜそんないい人たちばかりの職業なのに、職場の人間関係に問題が非常に起こりやすいかといいますと

 

①閉鎖的な環境で、毎日同じメンバーが顔を合わせる

②毎日同じような事の繰り返しで、つまらない。非日常的なことを欲する

③人間ですから、当然個人的な性格や主義主張の食い違いがある

④女性でも自立していけるほどの収入を得られるということは、自信(プライド)を持つ事に繋がり、競争意識が生まれやすくなる

⑤女性特有の「姑根性」が根強く支配する

⑥要領よく動いて仕事をあまり真面目にやらない「暇な時間」を作り出す人が自分の立場を脅かす人、自分にとって不都合な人を誹謗中傷し、間違った情報をあちこちにばらまく

 

 

簡単にまとめると、上記のような事が原因になります。

 

 

 

チームで考え動き協力しなければならない仕事をやっているのに、チームメイト(つまり同僚)に敬意を払うどころか、「あの人無理」「嫌い」という個人的な好き嫌いの感情で個人を追い詰めたり傷付けたりするということは、自分で自分の首を絞めているってことに気が付いていないんですね。

 

 

だいたい攻撃する側は、悪口や陰性感情で一時的な強い絆で結ばれた仲間たちと一緒にグループを結成し、複数でたった一人を追い込みます。

多勢に無勢、数の暴力を施行します。

追い込まれる人には、当然そこまでされるような原因はありません。

なぜなら、性格の悪い人が嫌うのはたいてい善人です。

むしろ真面目できちんとやるべきことを黙々とこなしている人です。

でもちょっとおっちょこちょいか、いつもニコニコしていて緩い感じかぬるい雰囲気を持つ、いわゆる隙のある人。

いつも優しく笑っているので、無知な人から見ると何の苦労も知らず、幸せそうに見える人

そういう善良な人がターゲットにされることが多いです。

 

きっかけは何か。

 

不明な事が多いです。

でも、たいていは一方が勝手に「プライドを傷つけられた」と思い込んでいる事が多いです。

たとえば、自分よりも注射の腕前がうまい、自分のお気に入りの上司から優しくされている、後から入ってきたくせに、自分よりも技術の習得が速くてしかもうまい、自分より年上なのに若く見えるし、悔しいけど美人(笑)患者さんや医者や他部署のスタッフから人気があるからこれは媚びを売っているに違いない…など。

 

つまり、嫉妬ですね。

嫉妬心は、問題の原因を自分の中ではなく外に見つけ出そうとする他罰的な人が圧倒的に多く抱きやすい感情です。

 

嫉妬は、人を殺します。

 

嫉妬心を持つ人は、心の一番奥深いところで「あいつなんか消えて居なくなればいいのに!」と呪詛の念を持っています。

実は、「あいつ」というのは、本当はその人の中にある否定したい自分の一部分を、攻撃対象とする人に投影して作り上げた「虚像」です。

自分自身を冷静に客観視出来ない未熟な人は、ある一部の自分に素直に生きている優しい穏やかな人(共感力が非常に高いタイプの優しすぎる人)を見ると、自分自身の汚い部分を浮き彫りにされたような錯覚を起こします。

そこで怒りのスイッチが入ります。

彼女は、自分が最も欲しているものを平然と手にしていて、まるで自分をあざ笑っているように見えるのです。

そうして、何もしていないし何もされていないのに、攻撃する側とされる側という構図が生まれてしまうのです。

 

一言で簡潔によく言われるのが「生理的に合わない」です。

これがその実態です。

 

 

人が思った事は、言葉や態度になって現れます。

攻撃する側は、些細なことも相手の揚げ足を取り、まるでそれがとんでもない大きなミスをしたかのように、周囲に示し、恥をかかせたり馬鹿にします。

一生懸命自分を正当化し、味方を増やすことで「これは悪意ではない、この人が悪いんだ!」と公的に決定付けるために、ターゲットを貶める努力をします。

 

またもし、攻撃される側が、相手が何も言わなくとも、その本心を感じ取ってしまう敏感な人ならば、相手のどす黒い感情を感じ取り怯えてしまいます。

善良な人はたいてい自罰的で、あの人を怒らせている自分の何が悪いのか思い悩み苦しみます。

でも原因がないから、対処のしようがないわけです。

 

結果的に、善良な人は自分が身を引く(いなくなる)ことで、この場に平和が訪れるならそれを選びます。

 

 

場合によっては追い詰められて自殺してしまう人もいます。

 

欝になって人が怖くなって、家から出られなくなってしまう人もいます。

 

 

 

罪のない人を追い詰めて追い出した当の本人は勝ち誇ったような気持ちと、不思議な空虚感を味わいます。

そして、必死に自分を正当化しようとして、どんどんまた「悪人」を探し作り上げようとします。

 

 

ところで、嫉妬心から善良な罪のない人を貶める人に従うのはどんな人たちか分かりますか?

 

「自分さえよければいい」

という、最も卑怯な考えの人たちです。

自分に火の粉が降りかかりさえしなければいいのです。人が傷付こうが何とも思わない。

むしろ、自分もその人と一緒になってストレスのはけ口が出来たと喜びます。

ターゲットになっている人のことをどれだけ誹謗中傷して汚く罵っても、首謀者が必死に自分たちを正当化しようとしてくれているので、その陰に隠れて自分も他人に目には見えない傷をつけて、それを楽しんでいるのです。

 

これが職場における悪い人間関係の一部始終です。

 

 

 

こういう事は、実は誰にでも起こり得る人間関係の問題です。

 

その組織のキーマンとなる人が人格者であれば、このような問題は起こりにくいのですが、上司も人間ですから、嫌われる勇気がありません。

正しい事を正しいときっぱり言い切れる公明正大な人がその場を取り仕切っていれば、この手の問題は限りなくゼロになります。

 

また、仕事を行う上でのシステムも大切で、とても人の粗探しなんて出来ないような仕事の流れ方をしている職場でも、こういうことは起こりにくいでしょう。

 

どのように業務に意識を向かわせるか。

 

このシステム作りもとても大切になります。

 

一つは「適材適所」です。

 

人は、自分自身を素直にのびのびと出して、自分の一番得意な能力を使って成果を上げる時に達成感や喜びを感じます。

 

大昔の中国をはじめ、日本でも占いを使って人の個性や特性、能力を見て、それぞれが持っている力を十分に発揮できるよう人事を行い政治を布き組織を作り上げたということは史実としてあります。

現在でも経営者が経営全般について占い師に相談するのはとても合理的なことだと思いますし、実際掛かり付けの占い師を持つ方も多くいらっしゃいます。

 

 

占いで万事すべての人事の調整をすることは不可能ですが、キーマンの配置は可能でしょう。

 

功績を上げた者には、禄を以て報いよ。

ただし地位は、人徳とその地位に就くにふさわしい能力を持っている者にこそ与えよ。

 

 

昔の中国の人の言葉です。日本では西郷隆盛さんが引用されて有名な言葉です。

 

 

 

その人の人間性や、どの役割を果たすのが向いているのか、そういうことを見るのが占いの本来の使い方です。

金運や恋愛相性も大切ですが(笑)

 

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